明治25年(1892)開催の京都市美術工芸品展覧会に「銕製蟹置物」が出品されていたことが『京都市美術工芸品展覧会審査報告』(博覧協会 明治25年)で確認できる。出品人は「富木治三郎」となっているが、鉄製の蟹の置物であることから、これは高瀬好山工房の工人冨木一門で宗信と称した冨木次三郎であろう。出品作も自在置物であったと考えられる。
この展覧会に金工の作品は79点出品されている。そのうち授賞は「一等賞二等賞各一名三等賞四等賞各五名五等賞四名通シテ十六名」となっており、「銕製蟹置物」は四等賞を受賞している。高瀬好山が工房を構えるのは明治26年であるが、その前年に好山工房の工人としてではなく冨木の名で展覧会に作品が出品され、受賞していたことは興味深い。
冨木次三郎の父、二代冨木伊助は蟹の自在置物を「ドシドシ売出して」いたと明治34年1月15日付けの『北国新聞』は伝えているが、これは伊助の没年である明治27年以前の話ということになろう(註)。『京都美術雑誌』(2号 明治25年)の記事によれば、明治24年の京都美術協会 九月陳列会には富岡鉄斎蔵「鉄製小蟹明珍作」が出品されており、京都市美術工芸品展覧会への「銕製蟹置物」の出品と併せて、京都での冨木家の工人の活動との関連が注目されるところである。
註 原田一敏「別冊緑青 vol. 11 自在置物」(マリア書房 2010年)
『京都美術雑誌』(2号 明治25年)
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