宮内庁編『明治天皇紀 第五』(吉川弘文館 1971年)の記述によれば、明治15(1882)年5月24日、浅草本願寺で開催された観古美術会への明治天皇の行幸に際し、龍池会から「明珍作鐵製蟹置物」が献上されたという。以下に該当部分を示す。
浅草本願寺内に開催せる龍池会観古美術会に行幸あらせられ、古美術工芸品を覧たまふ、蓋し同会の請を聴し、美術奨励の聖旨に出でたまふなり、午前十時三十分御出門、侍従長米田虎雄陪乗し、宮内少輔山岡鐵太郎等宮内諸官供奉す、御休息所に著御、龍池会会頭佐野常民等に謁を賜ひ、同寺奥座敷に於て御昼餐を召したまひ、午後常民の嚮導に依り陳列品を巡覧あらせらる、又堀田瑞松・石川光明等の席上彫刻を覧たまひ、小休あらせらる、東本願寺住職大谷光勝交肴一折を献上す、直に之れを供進せしめたまひ、また光勝を御前に召して天杯を賜ふ、是の日龍池会に金二百円を賜ひて明珍作鐵製蟹置物の献上に酬い、又別に金百円を同会に、白縮緬二匹を光勝に下賜したまふ
献上された「明珍作鐵製蟹置物」はおそらく自在置物であったと考えられる。このとき(第三回)の観古美術会には以下のような出品もあり、これらも自在置物であった可能性は高いと考えられるだろう。
・工商会社 出品
鐵製螳螂置物
銅製蟹置物
『第三回観古美術会出品目録 第三号』(有隣堂 明治15年)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/849464/32
また、この年の12月19日、松平春嶽が自在置物とみられる「銕製竜明珍一個」を天覧に供するため参内したところ、明治天皇により「御留置」とされた記録が残っており、自在置物が明治天皇の好みに合うものであったことが窺える。平成30年秋季特別展図録『皇室と越前松平家の名宝 -明治美術のきらめき-』(福井市立郷土歴史博物館 2018年)には宮内卿徳大寺実則が松平春嶽に宛てた書簡が掲載されており、このときの状況を知ることができる。
この出来事と龍池会による「明珍作鐵製蟹置物」の献上との直接の関連性はわからないが、龍池会は「明珍作鐵製蟹置物」が明治天皇の好みに沿うものである、あるいはそれを期待できると考えて献上品として選んだのは確かであろう。龍池会および改称後の日本美術協会において自在置物がどのようなものとして位置づけられていたかを考えるにあたり、このような明治天皇と自在置物との関係が及ぼした影響にも注目する必要があるだろう。
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