山崎南海の名は牙彫伊勢海老自在置物で知られている。京都国立近代美術館に着色したものと無着色のもの各一点が所蔵されているほか、オークションに出品もされることもあり、ある程度の数が作られているものと思われる。
南海についての詳細は伝わっていないようであるが、海野勝珉の門人に同名の人物がいる。若山猛 編著『刀装金工事典』(雄山閣出版 昭和59年)の「南海」の項には「山崎氏。海野勝珉の門人。東京府住。明治・大正」とある。同書によれば山崎姓の海野勝珉の門人には「珉斎」もおり、「山崎氏。富之丞という。明治九年(一八七六)十月に生れる。明治二十七年(一八九四)五月から、三十六年(一九〇三)一月まで勝珉に師事する。東京府住」と記されている。桑原羊次郎『日本装剣金工史』(荻原星文館 昭和16年)に掲載の海野勝珉系の図には「南海」はあるが「珉斎」は記されておらず、同一人物の可能性もあろうか。
上田令吉はその著書『根附の研究』(昭和18年、金尾文淵堂)において、浜野政随、土屋安親らを例に挙げ、彫金家が余技として木竹その他の材料で根付彫刻をした例が多いことを述べている。また、本山荻舟『近世数奇伝下巻』(博文館 昭和17年)は、刀工としてだけでなく、木彫や漆芸の分野でも優れた作品を残した逸見東洋が、目や脚を可動とした木製の蟹を製作したことを伝えている。海野勝珉の門人「山崎南海」が牙彫伊勢海老の山崎南海と同一であるかはわからないが、これらの例はその可能性を示すものとしてとらえられよう。
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