高瀬好山のカモメをモチーフとした釣香炉の作品が、小冊子『京都の工藝』に掲載されている。この小冊子はその序文から「京都工藝品見本市協會」により、「京都工藝品宣傳即賣大會」の目録として昭和6(1931)年に作成されたとみられる。
「京都府、市、會議所後援 京都工藝品宣傳即賣大會を開くにあたりて」と題した序文には、以下のような記述がある。
さきに京都工藝美術協會が成立して製作者の指針に貢献してゐますが、一方京都工藝の産業的寄與のために私共は相謀つて本協會を設立し、現代人の趣味に投じ實用に適する價値ある工藝品の生産に努めると同時に弘く一般に宣傳して需要を促し販路を開柘(原文ママ)することに衷心の希望をもつものであります
京都府立総合資料館編『京都府百年の年表 8 美術工芸編』(京都府 1970年)によれば、京都工芸美術協会は昭和5(1930)年7月29日に創立総会が開催され、「京都の各種美術工芸団体を統一する」ことを目的とし「帝展第4部に対抗すべき京都工芸美術展を毎年開催を企画」していたという。序文には「今回烏滸がましくも帝都に進出して私どもの念願が如何程まで受け容れられるか」ともあり、京都工芸品見本市協会が京都工芸美術協会とともに東京にも販路を広げることを目指していたことがうかがえる。京都工芸美術協会による京都工芸美術展覧会の第三回(1932年)、第四回(1933年)展は、いずれも日本橋三越で開催されていることが出品目録から確認できる(1)。『京都の工藝』には「京都工藝品宣傳即賣大會」の開催場所については記載がないが、東京で開催されたのであれば、これらの展覧会の嚆矢となるようなものであったと推測される。
『京都の工藝』に掲載された高瀬好山の釣香炉は作品名が「墨堤都鳥釣香炉」となっている(図1)。このことから正確には都鳥、すなわちユリカモメがモチーフであるとみられる。在原業平の歌から京都と東都を同時に想起させるモチーフおよび作品名は、東京への進出を意識したものであったのかもしれない。好山の鳥をモチーフにした釣香炉は嘴と羽の一部を可動とした銀製の丹頂鶴の作品が知られており(2)、「墨堤都鳥釣香炉」も同様の作りであると思われる。高瀬好山工房で作品の実制作を担っていたのは冨木家の工人であったが、近年まで自在置物の制作を続けていた同家の宗行氏から伺ったところでは「ローマ法王に献上されたカモメの自在置物がある」とのことであった。それはこの作品か、あるいは同様の作品であったのかもしれない。
高瀬好山の作品で『京都の工藝』に掲載されているものは他に蘭の置物、伊勢海老の自在置物がある。伊勢海老は作品名が「長楽無極置物」となっている(図2)が、これも国内需要に向けて縁起の良さを想起させることを図ったものであろうか。さらに、高瀬好山は京都工芸品見本市協会役員の理事としても名が記載されている(図3)。理事長は西村象彦となっており、ドイツで学んだ久米権九郎図案の象彦の洋家具の写真も多数掲載されている。
註
- 『第三回京都工芸美術展覧会出品目録』(1932年)
https://opac.tobunken.go.jp/detail?bbid=1000003352
PDF: http://www.tobunken.go.jp/archives/PDF/library-books/1000003352.pdf
『第四回京都工芸美術展覧会出品目録』(1933年)
https://opac.tobunken.go.jp/detail?bbid=9000582916
PDF: http://www.tobunken.go.jp/archives/PDF/library-books/9000582916.pdf
第四回展には番号69に高瀬好山「洋草置物」の出品が確認できる。 - 展覧会図録『驚異の超絶技巧!-明治工芸から現代アートへ-』(三井記念美術館ほか 2017年)
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