画像は2005年にパリのクリスティーズオークションに出品された鉄製の雉の作品です。
ARTS D'ASIE
22 November 2005, Paris
FAISAN EN FER
JAPON, PERIODE EDO, SIGNE MYOSHIN MUNEAKI, FIN DU XVIIEME-DEBUT DU XVIIIEME SIECLE
残念ながら銘の画像などはないのですが、解説によればミョウチン・ムネスケの弟子のムネアキ銘となっています。おそらく東京国立博物館の龍自在置物で知られる明珍宗察の作品ではないかと思われます。
メトロポリタン美術館には明珍宗介の烏の作品があります。雉の作品もこの烏と同様に写実的で精密な表現のように見受けられるので、やはり明珍宗察の作である可能性が高いのではないでしょうか。
ちょうど今、東京国立博物館の展示「明治時代の日本美術史編纂」に日本で初めて公式に編纂された日本美術史『稿本日本帝国美術略史』が出品されています。
上の画像はその『稿本日本帝国美術略史』で紹介されている明珍宗察による甲冑の一部分。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1765342/492
こちらの東京国立博物館ブログの自在置物の記事にも、同館所蔵の明珍宗察作の甲冑の一部が掲載されています。『稿本日本帝国美術略史』のものと酷似しているので、もとは同じ甲冑のものだったのかもしれません。
http://www.tnm.jp/modules/rblog/index.php/1/2015/07/03/%E8%87%AA%E5%9C%A8%E7%BD%AE%E7%89%A9/
『稿本日本帝国美術略史』に江戸時代の甲冑工として記載されているのは明珍吉久と明珍宗察の二名だけですが、両者ともに自在置物の優品を遺している点が注目されます。
先の雉の作品は自在置物ではありませんが、明珍宗察によるものだとすれば、日本初の美術史で言及されている甲冑工による美術品の作例となるので、その意味でも貴重なものであるといえるでしょう。
(2018.1.10 追記)
こちらのメトロポリタン美術館の明珍宗介の甲冑、最近になって公開されたもののようですが袖や佩楯にまで龍を大きく打ち出したパーツを使用しており、過剰なまでの技術の誇示が感じられます。
https://www.metmuseum.org/art/collection/search/22154
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