東京藝術大学大学美術館で開催中の「ダブル・インパクト 明治ニッポンの美」を見てきました。
個人的にはなんといってもチラシにも出ている高石重義の龍に注目です。首を延ばせば2メートルを超えると思われるその大きさは自在置物としては最大級。より小さな作品の方が細密さを感じさせるという点では勝るのかもしれませんが、この龍は丁寧で精巧な作りで大味な感じはありませんでした。耳や顎などの可動部分もパーツの分割部分が薄く作られ非常に滑らかな仕上がりです。
X線写真も展示されていましたが、首から胴体にかけてコイルばねが仕込んであるように見えます。思ったほど写真が大きくなかったこともあり(図録に掲載の写真も)このあたりの構造に関する部分は別の書籍などに詳しく掲載されることを望みます。
この龍の作者の高石重義は装剣金工から転じて自在置物を制作するようになったとみられるのですが、これまでよく知られていなかったその経歴に東京彫工会の彫刻競技会での受賞記録があることが判りました。「近代日本アート・カタログ・コレクション 第2期 086 東京彫工会 第2巻」(東京文化財研究所編)の記録から明治32年の第十四回彫刻競技会において「鐵製延縮龍之置物」あるいは「鐵製伸縮龍」との表記の作品で銅賞を受賞していることが確認できます(追記:第十二回彫刻競技会には高石重義作として「刀剣切物」が出品されており、刀身彫刻の作品として出品していたと思われます)。
こちらは受賞者名を伝える官報です。海野勝珉、山田長三郎(宗美)、香川勝廣、安藤重兵衛などのメジャーな名前も並んでいます。
(国立国会図書館デジタルコレクション 官報 1899年10月31日より)
オランダ国立民族学博物館が日本国内の展覧会での受賞歴がある「Takaishi Shigeyoshi作の鉄製の可動する龍」を1900年のパリ万国博覧会で購入したという記録があることについては前回書きました。第十四回彫刻競技会はその前年の1899年であることから、このパリ万国博覧会に出品されたとみられる龍は受賞作と同一のものと思われます。
追記:『明治期万国博覧会出品目録』(1997年 東京国立文化財研究所)所載のパリ万国博覧会出品目録にはこの作品と思われるものの記載は見出せませんが、大熊敏之「明治”美術史”の一断面 ー 一九〇〇年パリ万国博覧会と宮内省」『三の丸尚蔵館年報・紀要 創刊号』(1996年 宮内庁)によれば明治32年秋、臨時博覧会事務局は急遽「第十四回東京彫工会彫刻競技会から十七点を出品作として選出した」とのことであり、高石重義の龍はこのうちの一点であった可能性が高いでしょう。
ボストン美術館の龍がこの龍と同一かは確定的ではないものの、その特別な大きさや精巧な仕上がりは彫刻競技会で受賞したり万国博覧会に出品されていたりしてもおかしくないものであると感じます。
今回の展示では竹内久一の神武天皇立像をはじめ記紀を主題にした作品がいくつか出品されています。江戸時代に自在置物を多数制作した甲冑師一派の明珍はその姓を平安時代に近衛天皇から賜わったという伝承があり、その祖は武内宿禰と伝えられています。これらは物語としてとらえるべきでしょうが、当時はそうした謂われをもつ職能集団の手による作品が海外で高い評価を受けたことは歓迎すべきことであったと考えられます。高石重義、板尾新次郎の作品は多くが明珍作として売られたという資料がありますが、一作家の作品として販売するより明珍作とした方が国粋主義的な時流に合致し、実際その方が海外でもより高値で売れたのかもしれません。"The Japan Weekly Mail" 1895年6月8日の第4回内国勧業博覧会に関連した記事には「明珍による驚くべき爬虫類、甲殻類、鳥類の作品でさえも忠実な複製品が作られている」とあり「今の日本ではこのような作品は作れないという誤った印象を持ち、優品は古い物に違いないと考える蒐集家は(当代の同等の作品への評価よりも単に作品の古さにのみ価値を見出すならば)悪徳商人に欺かれるだろう」とも述べられています。このような事情もあって(高瀬好山一門以外の)明治の自在置物作家の在銘作品が少ない理由となっているものと思われます。
また"The Japan Weekly Mail" 1893年10月21日の鈴木長吉についての記事には全長8フィートの可動する龍の作品に関する記述があり、鈴木長吉も高石重義のものと同じ位の大きさの龍自在置物を作っていたことは間違いないようです。制作時期がシカゴ万国博覧会に出品された「十二の鷹」と同時期であると思われるこの龍は、造形についても高石重義の作品と非常に良く似た作品とみられます。2つの龍がどのような関係にあるのかも興味深いところです。
さて自在置物のことばかりでもなんなので最後は旭玉山の人体骨格について。この作品、胴体部分は玉山の門人が制作したとみられその人物は医師の中浜東一郎(ジョン万次郎の長男)の舅の可能性が考えられそうなのですが…(中浜東一郎自身は旭玉山と面識があったようです)。
実際どうだったんでしょう?
@gelcyz 畔柳正藏という人が観古美術会に鹿角の骨格を出品してるようですね https://t.co/LAy3n2Rt5G 近デジ http://t.co/EjrX1NZihK 医師の中浜東一郎の舅の可能性がありそうです http://t.co/wDQQigIZLi
— 壽堂 hisashi moriyama (@sushifactory) 2015, 4月 20
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